キャラクターが「記号」じゃなく、「人格」が感じられる作品は面白い

個性の薄い量産品と言うか……ストーリーに必要だから配置されているだけって感じ? そういうキャラが多いと微妙ですよね

というわけで、今回はフィクションのキャラクターの存在感について書いてみようと思います。

「記号」にしか感じられないキャラクターが多いと微妙

最近、web小説・web漫画を読むのが趣味で色々な作品を読んでます。その中で1つの共通点を発見したんですよ。

それはキャラクターが記号でしかなく、人格を感じられない作品は面白くないってこと。

たとえば「主人公」「ヒロイン」「敵キャラ」みたいな感じ。1人1人のキャラではなく記号。ストーリーに必要だから出てきてるだけ。個性が伝わってこず名前も覚える気にならない。

もうちょっと詳しく書けば

「主人公、熱血型」「主人公、クール型」「主人公、元気型」

「ヒロイン、ツンデレ型」「ヒロイン、クール型」「ヒロイン、お嬢様型」

「敵キャラ、殺人鬼型」「敵キャラ、悪の科学者型」「敵キャラ、権力者型」

みたいな?

それぞれの型から選んで組み合わせたような印象。テンプレの量産品的。

特に感じたのはweb小説サイト「小説になろう」の作品を多く読んでいた時期。なんというか、作品が変わっても主人公の言動がほとんど変わらない! みんな似たようなことを考えて、同じような行動をするんですよ。

・いきなり異世界に飛ばされてきたのに謎に冷静

・地球に残してきた家族の話はまったく出てこない

・殺し合いにも意外とすぐに覚悟を決めちゃう

などなど……

設定的にも違いは少ない。地球からファンタジー世界に転移してしまった男子高校生。つまりこれは「主人公、異世界転生型」という記号なのでは? と思ったわけです。同じ記号を使っているなら区別できなくても大して問題なし。

もちろん「小説家になろう」でも主人公が記号ではなく人格が感じられる作品も多いし、むしろ主人公が記号だからこそ面白い作品ってのもありますが……

「人格」の感じられるキャラクターの特徴

次は記号ではない「人格の感じられるキャラクター」について。

例えば大人気漫画ワンピースの主人公である「モンキー・D・ルフィ」。

彼のことを「主人公、元気型」とか「主人公、熱血型」なんて表現する気にはなりません。強烈な個性が伝わってくるからです。

彼は「主人公」という記号として動いているのではなく、「モンキー・D・ルフィ」という1つの人格をもって生きている。そう感じられます。ただの記号として見るにはキャラが立ちすぎている。

感覚的な判断で説明するのは難しいけれど……似たようなことを感じている人はいるんじゃないかと。

記号でしかないのか、人格が感じられるのか。違いはどこから来るのか。たぶん色々とあるんだろうけど、私は2つポイントを発見しました。

①過去が感じられるか、または想像してみたくなるか。

登場人物たちは出番が来た瞬間に生まれてくるわけじゃない。15歳のキャラクターなら15年分の体験と記憶が、30歳のキャラクターなら30年分の人生があるはず。この過去の積み重ねこそが人格を作り出す。現実世界と同じ。

比べて、記号でしかないキャラクターには過去を感じません。とても薄っぺらい印象。ストーリーの都合で登場させられただけであり過去も未来も必要無い。

↑で違和感を感じた「小説家になろう」の記号的主人公なんかは、本当に過去を感じませんからね。地球でどんな暮らしをしていたのか? 家族構成は? そういうことがまったく想像できないし、想像しようとも思わない。

作者がそのキャラクターの過去を描くことができるか? また、消費者がそのキャラクターの過去を見てみたいと思うか? ここら辺に記号と人格の違いがある気がします。

みなさん、どうでしょう。あなたのお気に入りのキャラクターには過去があると思いませんか? また、過去が描かれていないキャラクターならそれを知りたいと思いません?

こう考えてみると過去編というのはキャラクターに過去を与え、人格を強化する効果があるんですねぇ。

②他の作品に登場させられるか?

これは↑の①とも関係します。たとえば漫画ワンピースの主人公である「モンキー・D・ルフィ」と、漫画ナルトの主人公「うずまきナルト」を入れ替えたとしましょう。

これはキャラクター設定もストーリーも崩壊しますよね。忍者たちの世界で海賊王になりたいキャラクターなんて育つわけが無いし、海賊王を目指す冒険も始まらない。海賊たちの世界で忍者のリーダーを目指す少年は出てこないし、任務の中で成長していくストーリーなんてありえないわけで。

彼らの人格と過去は作品全体の設定と結びついています。その世界だからこそ、そのキャラクターが育つ。簡単に入れ替えることなんてできない。

記号でしかないキャラクターは入れ替えてみてもストーリーにそんなに大きな影響はないんじゃないかと。彼らは過去を持ってないし、その世界と強く結びついてもいない。

まぁ、こちらの判断基準の方は作品設定が似ていると使えませんけどね。日本の高校を舞台にした作品同士なら、キャラクターを入れ替えてみても結局は日本の高校なんだし。

どうしてキャラクターが記号になってしまうのか

なぜ、キャラクターに人格が感じられず記号になってしまうのか。記号的な登場人物ばかり出てくる作品になってしまう理由は?

それは作者自体がキャラクターを記号として扱っているからでは。描きたいストーリーに必要だから出しただけ。深く考えていない。

なのでキャラクターに厚みを出し人格を持たせる方法の1つは過去を設定することでしょう。もちろん、過去を設定してもそれを無視しちゃ意味なし(笑) アメリカ育ちの留学生が、いきなり日本人の生活習慣をすべて理解しているとおかしい。

過去を設定し、それに合わせた言動をさせる。そうすることで人格が感じられる。だけど、いちいち過去を設定するのは大変。それに、過去を決めてしまうとそれに合わない行動ができなくなって自由度が下がる。だからこそ、キャラクターの過去まで考える作者は多くないんでしょう。

しかし、過去を決めずにいきなりキャラクターを動かすと記号にしかならない。これは重要なポイントじゃないかと。

ジャンルによってはキャラは記号でもいい

さて、今まで「キャラの人格が感じられるべき! 記号ではいけない!」と書いてきましたが、別に記号でもいいジャンルってのはあります。

1番分かりやすいのはゲームでしょう。大人気ゲームのポケットモンスターシリーズの主人公は、まさに「主人公」という記号。キャラ設定も無いしセリフもしゃべらない。

それでもゲームとしては面白いわけで。主人公はプレイヤーの分身なので、独自の人格なんて必要ない。

小説でも星新一さんのショートショート(超短編小説)のキャラクターは文字通りの記号だったり。「N氏」という名前が繰り返し出てきますが、それぞれ別人で人格は感じられない。

でも、それでいいんですよ。ショートショートの面白さはストーリー展開と読者を驚かせるアイディア。いちいちキャラクターに人格を与えると無駄に情報が増えて1番重要なところが見えにくくなる。

SFの超名作である「幼年期の終わり」なんかもキャラクターは記号みたいなもの。地球人A・地球人B・宇宙人A・宇宙人Bぐらいの印象。

でも作品のメイン部分は世界観なので1人1人のキャラクターは重要じゃない。つまり、世界観・ストーリー展開が中心ならばキャラクターは記号でも面白い。

ところが、ライトノベル・漫画などのキャラクターコンテンツ(=個々のキャラクターが中心である作品)のはずなのに、その中心となるべきキャラが記号にしか感じられない作品は微妙だってこと。

作者になるなら自分の目指すジャンルをよく考えるべき。世界観・ストーリーが重要でキャラはおまけでいいのか? それともキャラこそが中心であり、しっかりとした人格があるべきなのか。

まとめ

・人格を感じられるキャラクターと、記号にしか思えないキャラクターがいる。

・キャラクターが中心なのに、そのキャラが記号にしか感じられない作品は微妙。

・人格があるキャラには過去の積み重ねが感じられる。記号でしかないキャラクターには過去がない。作者が、そのキャラクターの過去を描くことができるかどうか。

 

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